自分の「本音」を見失わない。

なっちゃんの気づき

イベント、取りやめ。

初めて、『なっちゃんのお悩みカフェ』としてお茶会を開催予定だったのですが、やめました。

実際、人も集まらなかったわけですが、それもそのはず。

私の中でなんか違う。

無理矢理感と勢いだけしかなかったからです。

やりたいけど、怖い!というよりも、「何かこの形じゃない…」が出てしまいました。

私がメインでやることでは無い?かも。

じゃあ、私が広げたいことって何だろう??が、明確になっていませんでした。

ただ、私が話したいだけだったみたい(笑)

私が話したいだけなのであれば、インスタライブとかで勝手に喋ればいいや。

一度打ち出してみたからこそ、気づけたので良い学びとなりました。

Facebookメインでイベント告知しましたが、告知ページを作るのもこわごわ。

抵抗感がすごくあったのを覚えています。

一度決めたら、腹が据わるけれど。

こうして「怖いこと」をやるのって大切だなぁと、改めて実感中です。

人に支えてもらっているから、ですね。

頼りまくりですから、今。

出したものを止める、というのも、以前の私ならしなかった選択だなと感じています。

どう思われるだろうとか、ぐちゃぐちゃ考えるタイプでした。

関連してここ数日、友人から「友人の投稿が気になって、インスタに投稿しづらい」「自分が責められているように聞こえる」って、相談されてます。

外出するしない関連のやつです。

人の目は、たしかに怖いけれど。

〜しても良いのだろうか。

〜してはいけないのだろうか。

私、会社を辞めて社会生活不適合者になってから、この指標が無くなってきてるなと気づきました。

良い、悪い。

正しい、間違っている。

善、悪。

すべて自分の中で選択して決めるだけなので、そんなもの無い。

どうしたいか、どうするか、だけ。

人の目が怖くて「どうすればいいか」の決定と判断を他人に委ねてしまっては、自分を見失っちゃう。

某漫画で「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」という名言がありますが、まさにそれ!

読んだときは「???」で響かなかったのですが、今なら分かります。

結果は分からない。

正解も真実も分からない。

でも、やってみるしかない。

あなたはそれを選択するんですね。

もちろん、否定しないです。

でも、私はこの選択をします。

これは、彼から学んだ行動姿勢です。

人をコントロールしない。

だからブレずにいられる、私です。(そう、結局最後はそこ(彼)に落ち着くのです😁

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