新しい春に逝った祖父と。当たり前の幸せと。

なっちゃんの気づき
「進めよ」とその背で伝えしわが祖父は 立春とともに静かに逝きけり。

先週、旧暦のお正月を迎えた夜、祖父が旅立ちました。

87歳。

あと4か月で88歳。米寿を迎える前でした。

もともとは、毎日祖母と散歩に出かけ、車も運転できるほど元気でシャキシャキしていた祖父。

6年ほど前の交通事故がきっかけで、もともと持っていた血液の持病が少しずつ身体をむしばんでいきました。

ここ1,2年は循環器系がさらに弱ってしまい、車いす生活に。

覚悟はしていたものの、こんなにさっといってしまうとは…

当日は病院で検査をする日で、体調は悪かったそうです。

「念のための数日の入院」だったらしく、その日の夜に、なんて誰も予想していませんでした。

父と祖母が到着したときには、静かにいってしまった後でした。

私はというと、その日は早く寝ちゃったため再三家族から連絡が来てたのにも気づかず。(兄や弟からも来てた)

こういうところホント、私らしいや…

翌朝聞いて「そうなんだ」って、なぜか不思議とすっと入ってきたけれど…

やっぱり、じわじわと悲しさと寂しさがわきあがってきて、予想以上に落ち込みました。

身内の死は生まれてはじめて。

それを深く味わいたくなくて、実家に帰る選択はしたものの少し迷いました。

かなり、覚悟のいることではあったから。

兄は、訃報を聞いた瞬間すぐに車を飛ばして帰ってきて、次の日に家族を連れて再訪。

弟も仕事を休んで帰ってきました。

家の雰囲気は、気落ちしてはいるもののかなり和やかに。

ありがたかった存在は兄の息子二人。5歳と3歳。

彼らのおかげで、祖母や両親も元気をもらえたようです。

変わらずめいっぱい、エネルギー出してくれますからね☻

私も本当に、二人がいてくれて良かった…って心から思いました。

彼らなりに「何か」は感じていて、分からずとも一生懸命やれることをやってくれる。

純粋だからこそ、その姿にとっても救われました。

たくさんのお花に囲まれて、みんなからの手紙と、論語や小説などの愛読本と。

Bitly

祖母と旅をして回ったパスポートと。

そんな縁のものと一緒に、祖父の身体はなくなりました。

両親が共働きだったので、祖父母は私たち兄弟にとって育ての親。

「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。

そして、そんな祖父をずっと支えてきた父と母。

2週間に一回の病院通い。

息子である父が毎回、車で付き添って送迎していました。

病院での検査は一日近くかかることもあった。

入退院も繰り返していた。

母は毎日祖父のために減塩食を作り、尿の排泄介助も。

あれが良いこれがいいと情報収集して、試行錯誤でずっと、支え続けていました。

毎年、祖父母もつれて家族で旅行にも行っていました。

こうなった時に、後悔の無いように。

私は、そんな父と母にも心から「お疲れ様でした」と伝えました。

祖父は、自分で最後を決めたのだと思います。

立春の日という節目。

新しい春を迎えるこの日に。

それ自体、家族へのメッセージと感じ取っています。

進んでいいよと。

そんな気持ちが、冒頭のわたしの短歌です。

これは、短歌の先生である祖母のおかげ。

今、祖父の形見の整理が少しずつ進んでいます。

祖母も、父と母も、生活が変化することでしょう。

祖父は死というその姿から、私に深い学びを与えてくれました。

身近な人が無くなったのは初めて。

死とはどんなものか。

他人の死からは全く感じえないので、何も知りませんでした。

冷たくなった身体の感触も。

硬くなった身体を触るのも。

骨となった姿を目の当たりにするのも。

祖父は、死という自分の姿から尚、私たちにたくさん、たくさん教えてくれています。

そして何よりも。

旦那さまへ。

もし、昨年入籍していなかったら。

祖父のお葬式に隣りにはいなかった。

もし、年末ホームウェディングをしていなかったら。

私は祖父に対して後悔の気持ちがありました。

家ではそんなに泣かなかったけれど、二人だけの帰りの車の中では泣かせてくれた。

車を運転しながら、ずっと私の冷たい手に片手を置いてくれていた。

あなたがいなかったら、もっともっと落ち込んでいた。

いつも支えてくれて、本当にありがとう。

当たり前が幸せだということ、今改めて感じています。

タイトルとURLをコピーしました