「役」に縛られる続ける私たち。

なっちゃんの気づき

会社をやめて、ただの私として一年が経ちます。

「役を脱ぎ捨てた、裸の自分」っていうものを、数カ月間を振り返りながらここ一週間くらい考えてます。

龍一さん、みつろうさん主催のデジタル・デトックスキャンプに参加した時も、スマホを預けられなかった人たちの理由は一つ。

「何か連絡が入るかもしれないから」。

※デジタル・デトックスキャンプの模様はこちらから。

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一緒に走った女性ランナーの方は「お母さんという役目がつきまとうのが一番、窮屈だった。職場はあるけど、そこも違う」って。

会社を辞めてからの間、今も変わらず「どこにも所属せず、自分を語るものがなく、何も背負ってない」事に、罪悪感と不安の葛藤の中で過ごしてきた。

だから、すぐに転職活動を始めたり、何かを身に着けようとして行動しようとしたり。

身体の方が正直で、「嫌だ」と抵抗して辛くてしんどくなる。

でも、不安から引きずってでも動こうとした。

今は身体の声を無視するのは止めています。

まだまだだけど、少しずつ声を聞くようになってきたかな。

風に身をまかせて。

何かしら「自分」を語れたらカッコいいと思う。

何をしているか?は、通常「職業」で語られる。

私は今、それが無くて、初対面の自己紹介がストレス。

必ずと言っていいほど聞かれるから。

自業自得と言ったらそれまでだけれども。

背負うものがないからこそ。

「役」がある方が、実は安心で、楽、という見方もできるかもしれない。

そんなこんなで事あるごとに、「自分」って何だ?って考えちゃう。

そして「自分」を語れない自分にもどかしさも感じながら、今日も生きるんだ。

きっと、後でこの時間も「良かった」と言って笑ってる自分がいるはずだから。

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