「子供が欲しい」と「親になってみたい」は似て非なる。

なっちゃんの気づき

「自分の人生の中で、親になってみたいと思う。でも、そうならなくても、どっちでもいいんだ」

「子供欲しいでしょ?」と、彼に聞いてみました。

その答えです。

私は、今は正直自分のことで手一杯。余裕ないから無理です。

今は。

だけど、この先どうなるかは分からない。

でも、親になるだろう予感はしていることは白状しておきます。

そうなったらなったで、きっと腹をくくる自分がいることも。

連れ出しまくるだろうな。

「子供がペットみたいになってる」。

今日、学童に勤めてる女性がこぼしていました。

その言葉で、自分の中から出てきたのが「『子供が欲しい』って、よく言えるよなぁ」。

そう、私にはちょっと分からない。

親になるってことだよ?と。

そこ、分かって言ってるのかな?と。

「子供が欲しい」と「親になってみたい」は、似ているようで違う。

良い悪いではないけれど、「子供が欲しい」は、私にはちょっと違和感があります。

そういう聞き方をしてしまったけれど。

だから、改めて「子供欲しい?」の返答で「親になってみたい」という言葉で返してくれた彼は、あぁ本当にすごいなぁと思うのです。

恐らく今、親になってしまったら、私は確実に子供に嫉妬します。

何もできなくても、無条件で愛される存在に。

何も知らないがゆえに、不安も怖さもなく何でもやろうとし、できてしまう能力に。

ズルいじゃん!そんなん。

自分もそういう時代があったんだろうけどさ、覚えてないもんね。

だから、彼は子供二人のパパになるでしょう(笑)

「良いよ、二人とも ヨシヨシしてあげる」って言ってくれたけど。

それを分かっているから、今じゃない。

私はまだ、根深く残っているみたいです。

子供を見るとモヤモヤするし、「子供だから」って目線で見れないから、対抗心燃やすし嫉妬する。

なんか、幼少期にやり足りなかったもの、取りこぼしてしまったものがあるようです。

特に、甘えるとか頼るとか。

出来なくても良い、とか。

そんな部分を自分に許せていない。

なるべく甘えず頼らず自分一人で。

かつ、何でも出来なくちゃというこだわりがまだ、手放せていない。

何もできなくたって、君は唯一無二のヒーロー。

そんなことを、子供や親という言葉を通じて感じた今日です。

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