『じぶんと走るという信頼関係をゆっくりと育んでいこう。そこからすべてが優しい世界へとなっていく。』
こんな言葉を、いただきました。
私、中学生の時から本格的にずっと、走ってきました。
いつも、自分で自分にプレッシャーをかけ続け。
練習の前は、「タイム通りに走れなかったら…」という緊張と不安で、走り出すまで時間がかかった。
レース後は、心も身体もすべてを使い果たして、気持ち悪くなってトイレにこもった。
「私は弱い」って、いつもいつも「もっと強くならなくちゃ」って。
そんな、自分の弱くて繊細なところを押さえて抑えて、そんな自分と戦ってきた。
最終回には、心が折れるか、故障するか、倒れるか。
そんなことで強制終了。
よくもまぁ、頑張れてたなぁって。
「向き合う」ってさ、戦うことじゃなかったのにね。
「向き合う」の設定から違ったんです。
自分のどんな声も無視しない。
全部を見て、聴いて、感じて、受け取ること。
そして、寄り添うこと。
もっと柔らかくて、やさしいものでした。
人には気をつけてるのに、自分にはできないって……ね。
戦うって、終わりが無いですよね。
戦って、乗り越えて克服!!って。「克服」って何?という話。
結局、その「乗り越えた」は、「大丈夫(平気、何ともない)」になったということ。
「大丈夫(平気、何ともない)」とは、直面しても「抵抗が無い」。
「抵抗がない状態」というのは、「いつもの自分でいられている」ということ。
「いつもの自分」とは、リラックスした状態=「自然な状態」。
じゃあ、自然ってなんだろう?
自然は、どんな状態も受け入れて受け流している感じがします。
だって、大雨でも大雪でも強風でも、猛暑でも厳冬でも。
あたたかな陽ざしでも、やわらかな風でも。
どんな状態のときだって、ただそこにある。
抵抗もなく。
それが自然。
決して戦ってなんていない(笑)
だからきっと、本当に「向き合う」というのはもっとやわらかくやさしいんだ。
難しいということでもない。
「難しさ」をつくっているのは自分自身。
世界はすべて自分がそう思ったら、そういう世界になるから。
時間にゆだねつつ、自分と対話しつつ。
今度こそ私と一緒に、走っていこうと決意した最近です。