個人と組織、そして「私」って?

なっちゃんとラン

実業団女子駅伝のサポートをして、改めてわき上がる疑問。

組織(チーム)にいる意味。

これ、ずーーーっと、抱えてきました。

学校、いや幼稚園に入る時から。

もっと言えば、家族の中で。

個人として、組織の中にいて、どういうスタンスでいれば良いのか。

組織の価値観や目的が、自分と異なるときに、どんな距離で関われば良いか。

ナナメにいつも、構えてた。

以前の私は、影響を受けやすく、受け取りやすい性質がために、「私」を守るためには壁を作るしかありませんでした。

すんごい、不器用でもあるので。

壁を作って、人と一線か二線を引く。

でも、実は人と関わりたくて、私を出したかったんです。(あーー、めんどくさいったら)

でも、関わり方が分かんない。

それで、うまく行かないことだらけ。自分が苦しくなるだけ。

完全に、外側の環境……

組織という集合意識に振り回されてました。

答えはシンプルだったのにな。

どうすれば良いか?じゃなくて、自分がどうありたいか。

どうしたいか。

それだけ。

このまんま、いるだけて良かったんだ。

変に、良い子ぶったりしっかりしたり、合わせたりしなくてもいい。

そういう時も必要だけど、、ベースは全部、自分。

だから、組織は良い意味でうまく利用すれば良いんたと思ってます。

組織にいることでしか、得られないものがたくさんありますし。

自分さえ見失わなければ、割りきることだってできる。

今、個の時代になってきて、その人にスポットライトが当てられるようになってきた。

チームっていうブランドよりも、その人自身。

だから、やっぱりチームより前に、自分がどうしたいか、なんですよね。

じゃあ、自分って??

この子はどんな子?

私ってね、寄せ集めなんです。

ずっとそう思っています。

私の価値観、発する言葉、出来るようになったこと。

それらって、私がゼロから作り出したものじゃない。

全部、人から聞いたこと、教えてもらったこと。

「私のもの」なんて一個もない。

0⇒1を作り出せる天才じゃないし。

だから、オリジナルはゼロなんです。

今まで見て、聞いて、味わって、感じて、体験してきたこと。

それらの集合体であり、選択の結果がこの私。

無限にある選択肢から、自分が選んだ結果が、私。

つまりは、今からだっていつからだって、いくらでも選択し直せて、スタートし直せるわけです。

自分の再構築ができる。

だから、今なら私、チームにいられるって思いました。

螺旋階段のように、くるくる回りながら、でも上へ上って、また同じところへ帰ってきて。

同じところに来たけれど、違う自分だから。

タイトルとURLをコピーしました