「家族」だから。「家族」であっても。

なっちゃんとパートナー

タロットを始めたこともそうですし、最近はちょっとしたチャレンジをしております。

旦那さまの実家へ、4泊。

まだ3回くらいしかお邪魔したことないので、「人のお家」なのですよ。

入籍して旦那さまの方の家族になったけれど。

いや~!行く前はブレッブレです。

「大丈夫だろうか」と。

行く/行かないで揺れてました。ぎりぎりまで。

「嫌だ」というか…ハードル高いことへの抵抗です。だって行かない方がノーストレスだもの(笑)

変わらない日常の方が、安心安全だもの。

1,2泊ならまだいいけれど、4泊だもの。

(きっと、分かる人には分かるはず。この感覚。)

イベントとかいっぱい入ってたから、こっちに残ってた方がやりやすいもの。

でも、こうして来れた。

「何かやらなくちゃだめだ」とか「しっかりしなくちゃだめだ」とか。(いつもみたいにだらだら寝てるとかさ、そういう姿は見せちゃダメ感)

あとはもう「気を遣う…」とか。

自分の時間があまりとれないんじゃないかとか。

オンラインでイベント参加(しかも自分が出展者)って行けるのか…?

行く前はそんな妄想と不安でいっぱ~い。

でも、何のことは無い。

意外と大丈夫。

行くか、行かないかの二択じゃなかった。

行っても、できる。

両方をちゃんと叶えられる。

望みを伝えれば、意外とあっさり叶うもの。

この「ちゃんと明確に、人に伝える」のって大事。

一人で何でもやろうとしがちですもの。

無意識に「どっちか(ゼロ百、二者択一)」しかないって、思い込んでる。

でも、そう思い込んでいるだけで「マルっと全部」も叶うんですね!

やるときゃやります。

今回、いつも以上に「家族」ってものを改めて考えさせられてます。

血がつながって無くても「家族」であると。

「家族だから」こうして快く迎い入れてもらえている。

来るのを楽しみにしてもらえていて、来て喜んでもらえている。

お互いが心地よい状態ならば、その関係はとても心地よい。

「家」というのは本来「いちばん安心できる場所」である…と思います。

でもそれって実は「当たり前」のものじゃないんですよね。

「家=安心安全」。「家族=心地よい」。

この方程式は、両親が作ってくれていたんだと今さら気づいています。

何で家で、私みたいな自由人が許されていたかっていうと…

両親が「一人の人間」として私に接してくれていたから。

「家族なんだからこうしなさい」は、一個も無かった。

ついでに言えば「女の子なんだから」も無かったし。

「あんただからしょうがないわよね」で終わり(笑)

わたしだものね。

例え血のつながっている人間であったとしても。

他人なんだもの。

別の人間なんだから。

「家族であっても」関わりたくない人もいる。

ヤなもんはヤダ。

大切にできないんだから、それは無理。

それでいいじゃない。

家族だから、我慢して付き合う、とか。

家族なんだから面倒を見る、とか。

「家族だから」って言葉は、心地よいものにもなり、窮屈にもなる。

「家族なんだから」は、時に誰かを縛ってしまう言葉でもある。

窮屈だと、すぐに悲鳴を上げます。

母親なんだから。

父親なんだから。

女なんだから。

男なんだから。

色んなことに通じる話ではあります。

別に、何に縛られる必要もないわけです。本当は!!

そうは言ってもさ……はナシ!!(笑)

自分次第でどうとでも世界は変わる。

目に見える世界は、自分の内側の世界が反映されているだけ。

というのを、少しずつ体感してきているこのごろです。

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