秋分の日に想う、「幸せ」。

なっちゃんの気づき

秋分の日。

はじめましての人たちと、一日中、動いて話してわちゃわちゃしてました。

こんな日はいったい、いつぶりだろう。

早朝5時半。

近くの公園に、近所の女性ランナーのお誘いで朝ランに♪

(いや、朝早すぎて若干ビビりましたよ(笑))

彼といつも一緒に走ってはいるけれど、女性ランナーと一緒に、楽しく走るなんて何年ぶり??

婦警さんで、3人のお母さんという、超パワフルなその人は、明るくて情熱的で、本当に素敵でした。

そして、その人から出た言葉も。

「走ることを始めて、こうしてつながりが出来て、私は「婦警」「母親」という役目を背負った自分から、ようやく「素の自分」でいられる場所を見つけたの」

男性なら「仕事=自分」。

女性なら「仕事、家庭(母)=自分」。

自分を語るとき、いや日々の自分ですら、アイデンティティを「役目」と結びつけやすい。

しかも、無意識のうちに。

家庭と、仕事と。

それ以外の環境に見を置かない限り。

でも、すべて手放してみたら、何が残るだろう。

ただの私。

仕事を辞めてから、「ただの私」であることに、何と罪悪感を抱いていた。

お金を稼いでいない自分に対して。

仕事をしていない自分に対して。

ただ、生きる。

それだけをするには、もちろんお金も人の助けも…必要なものはあるけれど。

すでに全部がそろっていて、幸せなのに、なぜそれを良しとできないんだろうと。

人からどんなに、「なっちゃんはそれでいいんだよ」って言われても、勝手に葛藤していました。

素直に受け取るだけだったのに、「不足」ばかりに目がいっていました。

お金が足りない。

仕事をしていない。

あれが出来ない、これが出来ない。

人脈が足りない。

知識が足りない。

…………

ないものにばっかり、目がいっていました。

もちろん、ワルイことじゃない。

事実でもあるから。

でもじゃあ、生きてちゃいけないのか。

幸せじゃないのか。

もちろんNOです。

それでもこうして、生かされているという事実があるんです。

そして、ただ幸せ。

結論。

私はすでに、お金にも人にも、色んなものに愛されていたんだ!

何かを手に入れたら「幸せ」。

これがあれば「幸せ」。

「幸せになりたい」って言い続ける人たちは、いつまでたったって、いや、一生幸せになんてなれません。

「自分は、幸せだったんだ!」。

それに気づいた人が、幸せなだけ。

気づけばその瞬間から全員、幸せになります。

「私は世界一幸せだ」

そう思っている人が世界一幸せなだけ。

超シンプルなんだ、本当は☻

もっと詳しく知りたい人は、みつろうさんが教えてくれます。

もうぜひ、読んで。

さてさて、走り終わってすぐ小田原へ出張行って、帰ってきたら、燻製づくり(笑)

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックの調理スタッフとしても活躍された高柳シェフと、不思議なご縁から繋がりました。

高柳さん、超お茶目!!

しかも、人生の先輩として、生き方の信念が素晴らしい。

「幸せだ、と気づいた人が幸せなだけ」←これね!

「幸せは分かち合うもの」

「ただ今を生き、面白い毎日を」

「人生を後悔するほど、罪なことはない」

「時間は命」

「想いが先。それが現実化する」

「お金は感謝しながら使う。必ず大きくなって返ってくる」

「この世界にあるのは、愛。それが真実」

……などなど、たくさん教えていただきました。

シェフというよりは、何だか仙人みたいです。

人生初の燻製作りは、めったに経験できないものなので、楽しすぎました!

ご縁で集まった方と一緒に食べる、笑っちゃうほど美味しい燻製たち。

鶏肉、豚肉、卵、鯖、しいたけ、ししゃも……

変わり種にうずらのピータン、バナナ、草餅(笑)

集まったメンバーとたくさん話して、笑って。

まだ小さな輪だけれど、こんな毎日を過ごせる仲間たちと、村作りしたいなぁ…

ここから広がる繋がりに、ワクワク!

幸せを改めて、定義し直せた1日でした。

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