走ることについて、持ち続ける問い。

なっちゃんとラン

どうせ、衰える。

なのになぜ、走るんだろう。

ずっと抱えてた命題。

ランニングチームのサポート、練習、駅伝の応援。

トップランナーとの対話。

先週末は全日本大学駅伝もテレビで見てみて。

改めての問い。

私が走ることをストップした理由の一つでもある。

「このまま走ってても…変わらない」

「むしろ、100%衰える。先の見えてる世界じゃん」

ベストタイムを出した時の快感、充実感、満足感。

走り切った時の達成感。

優勝できた時のあの瞬間。

もっともっと、上へ。

…でも、その先は??

オリンピックに出た、世界記録を出した、優勝した…etc。

結果は本当にすごい。凄いとしか言いようがない。

でも、それは一瞬だ。

一生ではなく、たったその時だけ。

すんごくはかないんだ、競技スポーツって。

だから、それ以上の意義を見出せないと、続けるなんてできない。

好きなら、いいさ。

でも、私は走ることは好きじゃなかった。

結果を出した時だけ、楽しくて、好きになれたけど。

自分は行けてもここまでだ。

才能なんてない。

そう気づいたから、離れる必要があった。

切り捨てる必要があった。

走ることを捨てたら、何もない。

走ること=私って、勝手に決めつけてた方程式を壊すために。

走ることが、人生じゃない。

それだけが、私じゃない。

…そう、私自身が叫んでたのね。

もっと本当の、素のまんまの私を見て欲しいと。

走ることは、私にとって「私の表現方法のひとつ」。

それだけが私ではないよね。

あくまでも、手段、だった。

より生き生きと、自分を表現するための。

ほんと、悔しいけど私らしい。

だから、やっぱり走ることは切り離せないなあ。

ゼロから、新しく向き合いたい。

今度こそ、楽しく好きに走る。

結局、今もランナーとしての繋がりが、私を前に進ませてくれて、新しい世界を見せてくれて、連れて行ってくれてる。

それでやっぱり、チャレンジしたいのは自分のベストタイムを出すこと。

衰えると分かっていても。

中途半端になってしまっているから。

むしろ、再スタートのためにわざと中途半端にしたのかもしれない。

これからもトップアスリートを見ながら、羨ましくも感じ、はかなさも感じながら。

こんな感じで。

このくらいの無邪気さで。

もう少し、広い世界を走ってみようと思います。

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