もともとの痛みを思い出す。

なっちゃんの生活

4連休が終わってからというもの、どうも身体がしんどい、心はモヤモヤ、何かが溜まっている…

そんな状態を続けていた私です。

こんな時はアウトプット。

ノートに書く、とにかく人に話す。

そしたら、今仕事をしていない、動いていない、自分と向き合いながら毎日を過ごしている中で、『もともとある痛み』が浮き彫りになっているのでは?という問いかけをもらいました。

そうか、それだ。

家族に会ったり(会い直したり)、人に自分の過去を話したり、彼と出会う前から今までのことを振り返ったり…そんな機会がここ一週間で凝縮されてました。

そしてオリンピック。

つまりは、「スポーツ競技」の祭典が行われている。

生観戦もしたし、テレビで見たりもして。

そうなると思い出すのは、自分のランナーとしての競技者時代。

中学、高校、大学、社会人(実業団)…って、とにかく頑張っていたあの頃。

あの頃は、とにかく外への承認欲求が凄かった。

結果しか重視されない、結果が出せなければ振り向いてもらえない、価値が低い。

決してそうでは無いのに、そう思い込んで、自分を押し殺して身体や心を酷使して、ボロボロになった。

自分で自分を殺していたから、人との本当の繋がりも、皆無。

もはや辛さと苦しさの思い出しかなく、一時は走ることを全力で拒否しました。

それが、ぶり返していたようです。

承認欲求が。

でもこれはね、外に求めても永遠に終わりません。

自分で自分を認めてあげる事ができたら、終わり。

人がなんと言おうが、人から認められない、振り向いてもらえなかろうが、結果が出なかろうが、自分が自分を信じて認めてあげていれば、ブレることはない。

とはいえ、やっぱり人にも褒めてもらえたり、見てもらえたら嬉しいんですよ✨

それはダメってことじゃない。

そんな部分を持っていてもOK。

だけどまずは、何を置いても自分自身。

ランナーとして生き直すことは、実は新たに始めてます。

彼と出会って、向き合い直して、楽しくなって、ようやく好きになれた。

やっぱり、色んな側面で私の人生がまるっと肯定されたのが、この出会いだった。

本当にラッキーで、最高のギフトです。

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